家よりも安らぐ場所
先日スーパー銭湯に行ってきました。
普通の銭湯よりも健康ランドよりの施設で、いろいろなお湯とサウナが楽しめます。
私が行ったところは、露天風呂に泡風呂、壷風呂などなどとサウナがありました。
軽く休憩を取るための板の間なんかもあって、ハダカのままで板の間にねっころがって赤ん坊からお年寄りまでさまざまなオナゴのハダカを堪能できる、いい空間です。
ボンヤリと人様の体つきを眺めつつ、そのまま惰眠をむさぼっていたりするのは、リラックスのきわみです。
ところで。
ストレスが問題視され、リラクゼーション花盛りのこのご時世。
世間をぐるっと見渡せば、沢山のリラックスに関する商品・施設があります。
何か不思議なものを感じませんか?
どうしてそんなに道具や施設が必要なんでしょうか。
道具はまだしも、沢山のリラクゼーション施設たち。
自分のおうちじゃだめなんでしょうか?
先ごろ親愛なるわが友人が結婚しました。
彼のブログには、こんな言葉があります。
今まで「鍵」と言えば実家の鍵、会社のロッカーの鍵などしか持ったことがありませんので、この鍵は「自分で自分のために持った初めての鍵」ということになりそうです。 (いや、大家から与えられているのは確かなんですが、気分的にね。)来月からはこの鍵をお守りに生きていくわけです。
頑張ります。
はじめに家を持つとき、誰もがそんな思いを持つのだと思います。
家の鍵をお守りにと思う人がつくる家庭は、きっと素敵でしょう。
そしてそんな家庭に生まれてくる子供もまた、幸福であると素直に思います。
けれど、ふと思うのです。
結構自分の家が、世界で一番落ち着ける場所じゃない人が、結構いるんじゃないかと。
そこにはいろいろなドラマがあり、いろいろな事情があり、きっと単純なことではないのだと思います。
多くの人が安らぎだと思っているものが、実は安らぎではない。
それどころか、安らぎを得ればよいという事に、実は興味のない人もいるのではないでしょうか。
その中の一節。
誤解しないでほしいのは、どこかにグリム童話ホラー版というのが存在したわけではなく、この童話自体がもとから、こうしたおぞましい話を抱え込む形でこの世界に生まれてきたのである。
グリム童話は、正本には本当におとぎ話とするには、残酷すぎる話も多々あります。
だけど私たちが常識として多用する世界観もまた、ひとつのファンタジーに過ぎないと私は思います。
そこでこんな考え方もあると思うのです、この世は人の心の数だけファンタジーがあると。
それらの一つがが“常識”として受け入れられるのには、多くの人にとって利害が一致したからであると。
今爆発的に増加しているブログという名前の日記たち。
多くの人が、この電子の世界にどうして、自分を書き写そうと思うのでしょうか。
きっとそれは、今の世の中に対する疑問をブログにうつし、それが自分だけの疑問でないと確かめたいといった気持ちもあると思います。
現在というファンタジーから抜け出したい人たちがきっと沢山いる。
現実という足場を崩すことなく、何かを模索したいと思っている人たちがいる。
風呂なら家にもあるのに、スーパー銭湯でのんびりしながら、きっとこの世は常識とは異なる、より今を写したファンタジーを求めている、そんな風に思いました。
世界は広くあり、私たちはインターネットの上で自由なのです。
安らげる家というファンタジーと、広い荒野を旅するというファンタジー。
そして私もまた、自分のためのファンタジーを捜し求めているのです。
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